背に腹は代えられない

抑制薬というのは、怒りっぽかったり暴力をふるってしまう認知症の患者さんに対して処方される抗精神病薬のことです。抑制薬について考える時、最後にたどり着く言葉は、この一言。

「背に腹は代えられない」

抗精神病薬というのは、特に高齢者では、頭がボーっとしたり足元がふらついたりして転倒のリスクを増すと言われています。それは事実です。だからと言って認知症患者さんのBPSD(行動心理症状 認知症に伴い介護の負担を増す様々な症状のこと)に薬を一切使わない方がいいとも言えません。

私は、日々認知症患者さんと接する介護家族の方と話をしています。介護者自身が何年も前から私のところに通院する患者さんでもあります。

「先生、俺自分が怖くなったわ…。このままだと、俺、おっかあに恐ろしいことしちまうんじゃないかと。」

どちらかと言うと寡黙で、愚痴など言わない男性が、長年の連れ合いをとっさに殺めてしまうかもしれないと肩を落としてもらした言葉がこれです。

連日のように夜間大声で騒いでしまい、1時間おきに起こされるという患者さんの家族は、家族全員疲れ切った表情で受診しました。
「寝たきりになってもいいから、静かになる薬を出してほしい」
思いつめたように言われたこともあります。

本の中で、介護家族に行ったアンケート結果のせられていますが、介護をしていて「手をかけたい」「一緒に死にたい」と思ったことがあるかという問いに対して、4人に1人が「ある」と答えているという衝撃的な結果がある。

●人間なんてそんなもの
私は、自分自身が「他人のために自分を犠牲にして尽くす」という生き方をしていないので、他人にもそんなことを求める気になれません。
子供がもっと小さくて、片時も保護者の目も手も離せなかった時、だんだんと苛々がたまって子供に優しく接することができなかったことを覚えています。

そしてそんな時に夫が帰ってきて「外でコーヒーでも飲んできたら?」と解放してくれて、喫茶店で飲んだコーヒーが美味しかったこともよく覚えています。1時間ゆっくりコーヒーを飲んで読書して帰ると、子供がそれはそれは可愛く見えて、優しくなれるのです。ゆっくり美味しい物を食べたり、一晩ゆっくり眠れれば、リフレッシュして人に優しくできるし、その逆もありえます。

また同じ症状の方を1人きりで介護しているのと、2人でああでもない、こうでもないと介護しているのもまたストレスが違います。認知症の方の妄想にたった1人で向き合っていると1対1なので少し追い詰められる感じがしますが、2人で聞いていれば客観視できます。本人の目の前で批判しなくても、お風呂に入っているタイミングで「今日は落ち着かないね。」「妄想強いよね。」とそっと言い合える相手がいるだけで、いくらかはストレスが和らぎます。
人間なんてそんな大したものではないという前提で、介護者の人間性をぎりぎりのところで試すような環境に追い詰めない方がいいと思います。介護者本人と、介護されている認知症の方の両方のために。

●施設は魔法の杖じゃない
抑制薬を使うことに批判的なことを言う方に対して、
「じゃあ一体どうすればいいんでしょうか?」
と聞きたくなることも。
「そんな時には介護施設に入ってもらって…。」
と言われた時点で、実態を知らないんだなと思います。
自宅では、少なくても介護者が家にいる時は、一人の認知症の方に対して一人の人がつくことが出来ます。1対1でずっと拘束されて大変!と思うから施設に預けるとなるのですが、施設では複数の利用者さん(結構な割合で認知症の方です)を1人の介護者が見守っているのです。人が余って余って…という人的余裕のある介護施設はありません。多くはマンパワー不足で、ぎりぎりで回しています。
「抑制薬は寿命を縮めるリスクがあるので、絶対に使わないでください。」
とお願いした場合、「うちでは無理です。」と預かってもらえない(施設を利用できない)ことも十二分にあるのです。

●そんな時は入院でもして…?
病院に入れれば一件落着だと思う方は、やはり現場を知りません。
そもそも、精神科の病院は、少々落ち着かないとか、ソワソワ歩き回ってしまうという程度の症状の方は、入院させてもらえないというのが一つ。精神科の病棟は、施設と違って鍵がかけられ、一人で出ていくことが出来ないつくりになっています。これは人権という観点からは由々しき問題です。これをせざるを得ない理由として「自傷他害の恐れあり」(自分を傷つけてしまったり他人に害を及ぼす)という限られた状況でのみ許される、制限つきの人権侵害なのです。
また介護施設と違って、病院は治療をする場所であって、生活を楽しむ場所ではありません。歩き回る認知症患者さんにスタッフが一人ずっと付き添ってくれるということを期待するのは難しいです。それこそ抑制薬をしっかり使って静かになってもらったり、拘束といわれる手足を縛る行為がOKとされている場所でもあります。

●すべてを介護に捧げると
これまで認知症と全く無縁であった方がいきなり介護をしようと言うのですから、わからないことばかりでしょう。親がそうなった時に備えてしっかり情報収集していたという方はごくごく少数派と思われます。
このホームページを立ち上げた理由もそこにありますが、認知症というのは、家族にきちんとした知識があるかないかによって、症状がよくも悪くもなります。情報が勝負の分かれ目となるのです。医療についても、介護についても。どんな声かけをしたらいいのか、ありえない妄想話をされたら訂正していいのかいけないのか、介護を受けるには、そもそもどこに行けばいいのか、頼りのケアマネージャーがいまひとつだったらどうすればいいのか…。
それらの課題を一つ一つクリアしていくのに、情報収集したり知識を蓄える一人の時間が必要です。いざ一人になれる時間が訪れた時に、眠くないすっきりした頭脳も。

●抑制薬は必要悪
つまり何が言いたいかと言うと、抑制薬の副作用や弊害はある。
でもそれを延々と唱えても、認知症症状は変わらない。使わざるを得ないほど家族が追い詰められているから使うんです。
使うことによる本人のメリットデメリットと同時に、介護している家庭のメリットデメリットを総合的に考えて判断するしかないというのが私の結論です。
この時代に、集団のために個人が犠牲になるのか!と思うかもしれないが、抑制薬を使わなければ最悪虐待という最悪の結果になります。また使わなければ介護施設にも精神科病院にも預けることは不可能です。それならば、自宅で効き過ぎていないか注意しながらそっと使う。少しばかりの後ろめたさを感じてもいいです。

そして、薬がいい感じに効いて穏やかになってきたら、家族そろってのいい時間を満喫して下さい。
減らせる機会をいつも探る。必要最小限で使うことにこだわる。それが家族の愛情だと私は思っています。