コロナに問われている

こんにちは。
バタバタあわただしくしているうちに、ふと気づいたら公園の桜が咲いていて、春を感じました。
桜を見ると、無条件に気持ちがあがりますね♪
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数日前に外来受診された90歳代の男性。
悪性腫瘍が臓器全体に広がって、いつ爆発してもおかしくない状態だと説明された。
現在はサ補住(サポートつき高齢者住宅)に入居しているけれど、いざ‘その時’が近づいたら、家に連れ帰りたい…と意見を求められた。
娘さん「入院しないで家で…って、ありですか?コロナのこともあって、入院したら最期まで本人に会えないから。」
私「ありです。あり!サポートします。でも、今のサ補住の暮らしを続けながら…というのも一つの選択肢ですよ。とても理解があるところですし。」
娘さん「はい。でも、家に連れて帰りたいの。家は隣町だから、何かあった時にすぐ…というわけにいかないから。家なら、私が在宅で仕事をしているから、隣りの部屋で様子を見守れるし。」
娘さんの気持ちが、痛いほど伝わってくる。
そうだよね。
もちろん痛みや出血のことなど娘さんに心配はあるけれど、全ての心配が実際に起きるとは限らない。目の前で実際に起きたことに、ひとつひとつ丁寧に対応して、いけるところまでいこうとお話。
コロナは、私たちの‘生き方’を問うている。
何を大切に想って生きるのか。どう生きるのか。
(以下、1年前の文章を抜粋)
定期的な血液検査が必要な薬を内服しながら、感染を恐れて何ヶ月も本人が診察しないまま同じ処方を続けるのは、危険。
「変わりないようです。会っていないのでわかりませんが。」
代理受診する家族の言葉は、どこまで信じてよいのか。
高齢者は半年でも驚くほど状態がかわることがある。
できるだけ本人の状態を見て、今の処方でいいのか最適化を試みたい。
そう伝えて、緊急事態宣言があけてからはできるだけ本人受診をお願いしている。
(一部の施設は渋い顔の外出許可だけど知らないw)
 これはもちろん本音だけれど、もう一つ同じくらい重要な狙いが。
こうでもしないと、施設のお年寄りが家族と会えない。
 数ヶ月ぶりに家族と会った認知症の方。足の力も弱りぼんやりした表情で、再会直後は娘さんのこともわからなくなっていた。娘さんの運転する車で道すがら話をして、待合室で待っている間にも話をして、少しずつ少しずつ話が通じてきた。
「施設で会ったばかりの時と今だと、ぜんぜん表情が違うんです。お母さんが戻ってよかった。」
と娘さん。帰り道、満開の桜も見て行ってね、好物も食べられればなおいいよね。
大切な人と触れ合えない生活は、生きがいもなければ生活意欲もわかない。
それっていったい誰のため?
免疫力も落ちて、感染管理上にも大幅なマイナス。部分に固執して全体を見ないと、すべてを失いかねないと、そろそろ気づいてもいい頃。感染対策は健康を形づくる一部であって、全てではない。