「這って庭の草とりして、まぶたを虫に刺された。」
まぶたがぷっくら赤く腫らしてきた80歳代の女性。
「家族にはやんなやんなって言われるけれど、
何もしないのも嫌だから。」と。
地面にしいたゴザをずらしずらししながら、
草とりをしているんだとか。
****
家族はだいたい「やんなやんな」と言います(笑)
いたわりの気持ちと、
下手にがんばられて熱中症にでもなったら面倒・・
という懸念も。
ばあちゃんの草とりが、必要かと言われれば
家庭にとっては‘余計なこと’かもしれません。
家と施設の違いは、強制力かな。
多くの施設では、多くの場合は
土に触れる機会そのものがなかったり。
「やらないで下さい。」と言われれば、
その指示は、絶対的。
家庭では、家族がやんなと言っても、
本人は聞き流してやってしまう。
でもこれ、やっぱり本人には必要だと思う。
「自分の仕事がある」
ということが。
生活リハビリの三好さんも、『関係障害論』という本の中で、
‘一方的な関係’が、被害妄想のようなBPSDの原因になると
書かれています。
介護者にやってもらうばかりの存在だという負い目から、
「〇〇を盗られた!」という被害者の立場になることで、
立場の一発逆転を狙うんだとか。
人はやってもらうばかりだと幸せを感じられない。
誰かに何かをしてあげられているということに、
充実感や幸せを感じやすい生き物なんだと思う。
それに加えて草とりは、小さい規模でも
‘自然との対話’。
草を1本1本抜く作業を通じて、
地面にどっかり根をおろす草の生命力と対峙する。
自然のエネルギーを分けてもらっているんじゃないかと。
畑や菜園で日常的に土に触れている方は、
生命力があって元気な気がします。
施設入所と同時に土から引き離されたお年寄りは、
自然のエネルギーをわけてもらえずに
活気を失ってしまうのでは・・・。
という仮説を持っております。
現場の皆さん、いかがでしょうか?
そんなわけで、私は土いじり推進派。
家族が施設なみに本気で止めないように
「よっぽど危ないことでなければ、
好きにやってもらった方が、
寝たきりにならないで元気でいるかもよ~。」
「なんならうちに来て、草とりしてくれません?」
と煽るので、家族に迷惑がられているかもしれません。