クロスの法則

認知症のお母さんを介護している娘さん。

「私、ダメなんですよね。

頭では分かっているのに、つい怒っちゃうの。

母にはこうであって欲しいっていう気持ちが強くて…。」

いつもは快活な女性が外来でポロッとこぼした涙に、胸がしめつけられる思いがしました。

 

『老いた親を愛せませすか?』

アドラー心理学の「嫌われる勇気」の共著者である岸見一郎さんが書かれた本です。ご自身のお父様の介護体験をベースに、親子の介護について心理学者らしく鋭く考察されています。先日ご紹介した『認知症の人を愛すること』と共に、介護されている家族の気持ちに寄り添う本だと思いました。

理想の親ではなく、現実の親を受け入れることの大切さを述べた部分が印象的でした。

親の場合は介護に入る前の歴史が長いので、かつて何でもできた親のイメージが、そのまま子どもの親についての理想になっています。

親のことをずっと尊敬してきた人にとっては、親が衰え、過去のことを忘れたり、性格が一変したりした場合の理想と現実のギャップがあまりに大きなものに見えてしまうのだろうが、理想をいわば一度リセットして現実を受け入れなくては良い関係を築くことは難しいと書かれています。

上の記述との対比で面白いと思ったのは、父親と接する医療介護関係者に対しては、父親の過去を知って欲しいという気持ちがあるという記述です。

今は父の生涯の1ページであり、それに先立つ「歴史」があることを知ってほしいと思った。

両者の項目が並んでいることで、なるほど…と新たな気づきが得ました。

・これまでの人生を共有するご家族は「今、ここ」に注目して受け入れる視点

・今ここしか知ることが出来ない医療介護関係者は、「歩んできた過去」を知ろう、想像しようとする視点

どちらも欠落しがちであり、必要な視点であると。

意識的に両者がそのようなクロスした視点を持とうとすることで、良好な人間関係が築きやすくなるのかもしれません。ものがたり診療所の佐藤先生が、過去のご本人の生き様がわかるようなアルバム(ナラティブ・アルバム)を作る取り組みを‘優しさのしかけ’と表現されていましたが、これはまさに過去を知ろうとする行為ですね。

この本を読んで、当院でもさっそく初診時に記載して頂く問診票に「ナラティブ・シート」を加えてみました。ご本人の現役時代の職業、大切にしてきた信条や口癖、誇りに思っていることなどを家族に書き込んで頂くものです。ナラティブシート記載は、医学的な既往歴や処方内容と違って、絶対に必要な記載事項ではありません。なくても診療を進めることは可能です。でも、あるとこちらの背筋がシャンと伸びるのです。その方の背景に若かりし頃の面影が浮かぶのですから。自分からはあまり積極的にお話をして下さらない寡黙な男性患者さんにも、このシートがあると話を振るよい糸口にもなりますね。現役時代の仕事のことを聞かれると、パッと顔が明るくなり、饒舌になる方は案外多いのです。がんばって働いて社会で活躍されてきたあなた、もしくは家族をずっと支えてこられたあなたのことをもっと知りたいという気持ちは、きっと互いの人間関係はよくすると信じています。