「長生きしたいですか?」
外来で冗談まじりに尋ねると、答えは百発百中でYes!ではありません。
「そんなに長生きしなくていいよ。ほどほどのところで…」
こう答える方が一定数いるんですよね。
ほどほどってどのくらい?と追及すると、そこはいたって曖昧なのですが(既にほどほどの年齢の方でも、ぜったい「いまでしょ」とはなりません笑)。きっと「体が元気に動くなら長生きも悪くないけれど、介護度が高い状態で長生きして子供に迷惑かけるのも…」などの介護者への遠慮なども入っての結果なのでしょね。
それでも
「亡くなる直前の最期まで、自分の口から食べたいですか?」
こう聞かれて「それもどっちでもいいや。」と答えることは、まずないでしょう。
ほどほどで幕を引くにしろ長生きするにしろ、生きているからには、自分の口で食べたいものを食べたい。これはおそらく全ての人に共通する願いでしょう。
でも、いまは元気で、医療介護の現場をよく知らない方には、あまりピンとこないかもしれません。
「死ぬ直前まで口から食べるなんてあたりまえでしょう?他に方法があるの?」
その考え…実は甘いです!
いまの日本では、「最後まで自分の口で食べる」という希望は、本人やそれを支える介護者に強い覚悟や知識がないと、叶えられないことが珍しくありません。まずは残酷なこの現実を直視するところからスタートです。
105歳で亡くなられた日野原重明先生のご家族の手記からも、そのことが伺えます。先生が「僕はね、コップにちゃんと入った水をゴクゴク飲みたいの」と訴えながら、窒息を恐れたご家族に止められて怒るシーンが書かれています。食事についても同様で、「ホテルのようなトーストとカリカリベーコン、目玉焼きが食べたい」と切望しながら、誤嚥リスクを理由にその願いは叶えられませんでした。聖路加国際病院の名誉院長という立場で日本の医療に最大限の貢献をされた偉大な方でも、最後の最後に食べたいものを食べることができなかったのか…と切ない気持ちになります。
なぜそれが難しいのか?
理由1)医療や介護の現場で、食べることが圧倒的に軽視されているから
理由2)多職種の協働が必要だから。
「食べる」という行為には、多くの診療科や職種にまたがります。歯科口腔科や耳鼻咽喉科はもちろんのこと、神経内科や呼吸器科、STやOTなどのリハビリ、食事をサポートする介護職などなど。サポートがうまくいっている地域では、キーとなる耳鼻咽喉科や歯科の先生が中心になって旗を振っていることが多いようですが、それでも一つの科の先生が一人で頑張っても、絶対にうまくいきません。食べられない原因が自分の専門科以外にあれば、他の科や職種に協力をお願いして、チームとして動かなくてはうまくいかないのです。
たとえ大病院で一つの病院内でいろいろな領域をカバーできるケースがあったとしても、地域という枠組みで見た場合、これまた脆弱な面があります。入院中は院内チームで手厚くサポートされても、退院して自宅にもどったり施設に入所した先でそのようなサポート体制がなければ、あっと言う間に食べられない状態に戻ってしまった…ということもあるからです。食に関する‘地域の総合力’が問われるのですから、難しいわけですよね。
難しいことは承知の上で、それでもチャレンジしたいのです。昔の中国では、食べることを専門とする「食医」という立場の医師がいたようですが、私も現代の食医になりたい。自分にとって新たな故郷となった笠間という地域が、最後まで口から食べることを楽しめる地域にしていこう。そんな決意を持っています。
なかなか進まないジレンマはありつつも、この3年間と現在進行形の取り組みについても、書いていこうと思います。