●R6年1月18日(木)
年明け早々とても素敵な先生からお話を聴く機会を頂きました。
奇遇にも、自分と同じ45歳♪(自分と同年代の方が頑張られている姿には、勇気をもらえます。)
宮城県石巻の雄勝診療所の河瀬 聡一朗先生です。
河瀬先生の経歴は、すごいです。
東日本大震災が起きた2011年に、大学からの派遣で宮城県の災害支援に尽力されましたが。
地域の歯科医療を長期的に支えようと、なんと東京から移住されてしまいました。支援に入られてから移住決断までの期間は1年未満と、とんでもない決断力と行動力をお持ちです。
狭義の歯科治療に留まらず、多職種連携の食べるを支える活動をされたり、また河瀬先生が始めた「男の介護教室」は、全国に広がっています。
いつもお世話になっている塙歯科医院の塙章一先生と河瀬先生が先輩後輩の関係であるというご縁で、今回はるばる笠間まで来て頂けることになりました。
1月13日(土)雪がちらつく中、塙先生宅で前夜祭☆彡
外来でお忙しいにも関わらず、由紀子先生が益子からテイクアウトして下さったけららのインドカレー。
キーマカレーもチャパティも、インドの漬物?であるアチャールも美味しすぎて、インド旅行気分に。
私がめっちゃ笑っているのは、塙家の末っ子ミクロにペロペロ顔をなめられているため。
会食のなごやかな空気に乗じて、質問攻めにしてしまいました。
折しも能登半島の震災ニュースに胸を痛めている時期でもあり、災害支援のあり方や二次避難のこと、短期間で移住することを決意されたいきさつなど、本当に興味があったので。
印象に残ったのは、災害直後に体育館などの避難所にいる時には、町内会ごとの区分けで以前のコミュニティがある程度残っていること、まずは命が助かったことに感謝して何とかこの苦難を乗り越えようという一体感がある一方で、その後に仮設住宅に移る時期になると、抽選などで入居が決まるという事情から、地域のコミュニティが分断されてしまう、その時期に先が見えない状況から気持ちが落ち込む方が増えるという傾向があるとの話です。
翌日の河瀬先生のお話は、次の記事で。