●R6年1月21日(日)
今日も猫屋敷なわが実家です。
猫カフェの前を通るときだけは、「うちにはもっといるもんね♪と」一抹の優越感を感じます。
血統書つきは1匹もおりませんが( ´艸`)
肉球にきゅんきゅんします。
「最期の一匹を看取るまで、元気でいる!」と言う母の気概を、信じたい。
迫りくる「息子介護」の時代 ~28人の介護現場から~(平山亮 著)
この本では兄弟・姉妹との介護負担についても、しっかり取り上げられています。これが面白いのなんのって。
介護に書かれた本は多くあれど、この話題を正面から取り上げている本は、めったにないのではないかと。(私は初めて見ました。)
すごくデリケートな話題で、表だって話をすることがない話題なんです。それでも気にならないかと言うと…実は気にしている方も結構いる。外来でも、気心が知れた頃に、こっそりぼやかれる方は少なくありません。
私的に面白かったポイント)
・長男は「長男だから介護を引き受けた」ということを明確に否定する。
長男本人は、あくまでもその時の状況で‘たまたま’引き受ける流れになったと主張するのだとか。それによって、当然の義務!と思われたくない、他の教材を免罪にしたくないんですね。そして「長男だから」という言葉を使うのは、兄に介護を任せた他の兄弟なのだと。こんな時ばっかり伝統を持ち出すのを‘にわか規範’って言うんだそうです。この辺り、長男のもやもやも、にわか規範を持ち出してしれっと免罪されたい兄弟の逃げ腰も、どちらも気持ちとしてはすごくわかる気がします。
家事もそうですが、介護はなおのこと距離的近さで大変さが決まる部分もあり、兄弟完全に平等ってほぼ無理ですよね。そうなると「世話になった両親に恩返しがしたい」という気持ちと「そうは言っても大変な負担を自分ばっかり背負わされている」という貧乏くじ感の間で、揺れ動くのが当然かもしれません。
・男性介護者は兄弟には「やってくれないこと」、姉妹には「やりすぎること」で不満を抱きやすい。
主介護者でない男性の兄弟には「もっと介護に協力してほしい」と不満を抱きやすい一方で、がつがつ介入してくる姉妹に対しては、介入しすぎ反発する傾向があるとのこと。協力度が低い兄弟への不満の方が大きそうですが、実際には関係が著しく悪くなるのは介入しすぎな姉妹の方だと言うのが一見意外ですが、その辺りの説明も社会心理学的に丁寧にされており納得。男性は「自分がすでにやっている(できている)」と認識していることに対して横から口を出されたり干渉されると、自身の「自立と自律」が侵されるように感じて不快になるのだと。
この辺りは、どちらの立場も非常によくわかります。私は家事や育児の経験しかありませんが、家事などは人によって「この辺がいい按配だろう」という完成度やバランスは、個人によって著しく違います。兄弟や夫婦、親子でも驚くほど違うので、絶対的正解はありません。主婦としてメインで行う人の基準で進めていくのですが、それに対して横から「もっとこうした方が…」と口を出されたら、「うるさーーーーい!!!」と言いたくなりますよね。一方で、細やかな女性で自身も主婦をしている場合、兄の大雑把(に見える)家事や介護に「え!そうやっちゃうの!もっとこうした方が!!!」と傍観に耐えられずに手を出したくなってしまう姉妹の気持ちもまた、よくわかるのです。どちらの気持ちもわかるだけに…つらいです。
せめてもの対処法としては、姉妹は「主介護者の男性ができない(と本人も認めている)ことに特化して手伝いをする」「口を出しすぎない」ことを心掛けた方がよさそうです。こういう落とし穴にはまりがちなのだ…と知っているだけでも、違いますよね。
ちなみにわが家の場合は、実両親が家から車で数分のところに引っ越してきたので、次女の私が将来的には主介護者になることは確実でしょう。姉は千葉県在住ですから。
「長女だから親の面倒を見る」というにわか規範が使い損ねたわけですが(笑)
母は笠間に引っ越してくる時に「将来的にあやかに世話になる時のために、いまのうちに恩を売るために孫の面倒を見ていく」と言っており、言葉どおり3人の孫の面倒をよく見てくれています。(孫守りをするのに、私に精神的に負担をかけないようにこう言ってくれたのかもしれませんが。)
私自身は、介護、認知症という分野に取り組んでいることもあり、実体験として介護に関わることも仕事の糧にもなる…という下心もあり。
「面倒見てあげるけれど、お母さんにプライバシーはないからね。将来認知症になったら、Youtubeで全世界に発信されるから、その覚悟でいてね。」
と伝えています。人間はみんな損得で動いているのです。