息子介護とミニマムケア

いつもインスタ映えしないお弁当を持参しています。

またまたこの本から。

迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から (平山亮 著)

この本で私が初めて知った言葉は

ミニマム・ケア

かいがいしくお世話をするのではなく、どうしてもできないことだけ手伝う最小限のケアのこと。

細かなところに気がつく方だと、どうしてもあれこれ先回りして先にやってあげたり、本人ができることまで‘親切に’やってあげたくなってしまいがちですが。

「過剰なケアは、ケアではない」という言葉に、あらためてハッとさせられました。

本人が自分でできることは自分でやり続けることができるのが双方にとって望ましい姿ですから、ミニマルケアは理想的なはずですが。これは一見「手を抜いた介護」とみなされがちです。

私の外来でも、少し離れた子どもたちが年末年始やお盆に一定期間滞在し、よかれと思って手を出しすぎた結果、それまで出来ていたことも出来なくなったりする…と主介護者である夫がぼやくのを聞いているので、これは注意が必要ですね。

 

もう一つ面白かったのが、男性は母親に対してはミニマルケアになりやすい反面、妻を介護する場合には手を出しすぎる介護に傾くこともあると。これは自分が妻を‘庇護すべき存在’と認識し、管理する方向に舵を切ってしまうからとのこと。

そう言えば…

以前勤めていた病院で訪問診療をしていた時に、介護が必要な妻に対して、主介護者である夫が非常に非常にきめ細やかな介護を行っていて。そんな至れりつくせりの介護を受けられるなんて素晴らしい!はずなのに。見ていてなにやら息苦しく感じてしまうのはなぜだろう…と思っていました。あれは‘管理型介護’だったからなのだな、と今さら思いました。

何人ものそんなタイプの介護関係を見ていて、看護師さんとたどり着いた結論は…

「きめ細やかな介護をする夫の横に、にこにこ黙って従う妻あり」

夫のこだわりに満ちた介護に対して「私はそんな風にされたくない!」などと異を唱えることなく、黙ってニコニコされるがままになっている妻が多かったのです。

私も同席していた看護師さんも、見ているだけで息苦しくなるタイプの人間。

つまり「人に管理されるのが苦手なタイプ」。

同じ立場に置かれても、あれやこれやときめ細かく介護されたら、きっと反発してしまうのではないかと。そんな自我を主張する可愛くない妻に閉口し、夫も早晩に介護を放棄することでしょう。そもそもそういうタイプの男性は、そういうタイプの女性を妻に選ばないから、最初から夫婦として成立しないから心配ご無用ですね。

夫に介護してもらえない前提で、どうやって後半人生を乗り切るか、今から考えておきます。